北川辺の農民は、明治の足尾鉱毒事件において郷土の遊水地化に反対し、田中正造翁とともに納税拒否・兵役拒否という強行手段を用いて国と戦って勝利した。
 そして、昭和には、郷土で作った米を子どもたちに食べさせたいという当たり前で純粋な願いを持って再び国・県と戦った。
 米は栄養価が低い、また米飯給食は割高で保護者の負担が大きい、食生活の改善に逆行するなどの理由で「米飯給食反対」という立場を取り続た国・県は補助金は停止させたが、それにも屈せず、昭和44年、埼玉県内で初めて『米飯給食』を実現させた。

 その経緯を新聞記事からたどる。



昭和43年10月16日 讀賣新聞(要旨)
            
(この記事は北川辺に関したものではない)
    栄養価低く、割り高 『食生活改善』に逆行

○ だぶつく古米を学校給食で引き取ってもらおうと、大蔵、農林省が検討を始めたが、文部省では、この案に大反対。
○ 文部省は「パンから米に切り替えたら、食生活改善を目標にする給食制度そのものが揺らいでしまう」とし主な反対理由を三つあげている。
@ 米飯は、パンに比べて栄養価が低いうえに価格が高い。米飯と学校給食用パンの比較では、ほぼ変わりがないのはカロリーだけ。子どもの成長に欠かせないカルシウムとビタミンは、断然パンがまさっている。
A それをオカズで補うと、また値が上がり、父母負担の増大を招く。文部省の試算だと、一食につき6円安とパンが有利。オカズで栄養価を補うとすると、一食で5〜10円。合わせて10〜15円の値上がりとなり、現在の 800〜1000円の標準から 300円前後の値上がりとなり、国からの補助金がないとさらにズシリと負担が重くなる計算だ。
B 米を炊く設備に、新たな費用が必要となる。米飯を炊く設備もたいへん。
○ また、文部省では、「古米消化のための苦心はわかるが、給食制度自体の急激な転換は望むところではない。仮に米飯に切り替えたとしても、学校給食で引き取れる米は年間20万d程度、政府手持ちの古米は、今月末までに 265万dにも達する」
○ パンのかわりに米飯を出しているのは、岩手、新潟、和歌山、島根・・・などの一部の小・中学校、合わせて47校、児童生徒数3800に過ぎない。千葉県の共同調理場などの例を除けば、そのほとんどが辺地校で、パンにすると輸送費が高くつくという理由からだ。  

昭和43年12月21日 朝日新聞(要旨)
      県教委は中止勧告?
         村議会 センター作りを議決

○ 米のとれすぎが問題になっているのに小学校の給食がいつまでもパンでは・ ・・・・と、米どころの北川辺村では、 学校給食をパンから米に切替えることになり、二十日の村議会で、米食用の給食センターを1095万円で建設する案を可決した。県内でははじめてで、できれば来年度から実施したいとしている。一方、県教育局では、学校給食の趣旨に反するとして、反対の態度をとっているので、パンから米への移行がスムーズにいくかどうか注目されている。
○ 一食当たり十円程度の父母負担増や、副食の栄養面の問題については、一月に給食検討委員会を開いて検討する。
○ 同委員のなかには、「米にすれば子どもたちも喜ぶし、副食も変化に富んだものが作れる」「村の現在の 600円が安すぎたのだ」とうい考え もある。
〔鳥海村長の話〕
 国や県では、今まで米の増産を呼びかけておいて、いまさら「米を作りすぎた」などのいいかたをされ、こんなみじめなことはない。パン給食は米の生産方針と一致しない。非農家は意見が違うだろうが、よく説明する。日本人にはやはり米が合うのではないだろうか。給食用の米は、村でとれたのを使いたい。将来は主食だけではなく、牛乳や野菜なども村内でとれる新鮮なものにしたい。
〔教育局保健課長の話〕
 米飯給食は、パンの輸送などが困難な辺地に特別認められているだけだ。村から通知があったらやめるようにいうつもりだ。


昭和44年2月20日 埼玉新聞(要旨)
     北川辺町で四月実施へ
          県教委、違法と説得  補助金打ち切り考慮 

 42年度産古米が県内だけで4か月分もたまり、混合配給が問題になっており、本県の穀倉地帯である北川辺村で、学校給食をパンから米に切り替えようと準備を進め、県教委をあわてさせている。学校給食法では給食の主食はパンと決めているため県教委は、変更を認めず、米にする場合、補助金を打ち切ると強く説得に当たっているが、同村は「補助金を打ち切られても村内でとれた米を児童生徒に食べさせたい」と主張している。同村が実施すれば県内で初の試みとなり、他の穀倉地帯の市町村にも波及しかねないことだけに、県教委はその取り扱いに困惑している。 
○ 同村の2校の小学校は、現在、パン食の完全給食を実施している。給食センターが老朽化し、建て替えの時期にきているが、同村教委はこれを機会に、ミルク給食を実施している北川辺中も完全給食できるように施設を拡大しようと検討をはじめた。この検討中に「村内のほとんどは米作農家で、米を主食としているのに、学校は輸入小麦粉のパンを食べさせることは納得がいかない」との『米派』があらわれ、この問題のきっかけとなった。
○ 同村は人口七千人のうち85%が農家で占められ、児童生徒の大多数が農家の子である。全児童生徒にアンケートをとったところ、半数以上が「米」と答えた。PTAの総会でも 「パンより米」が決められた。昨年12月、議会の承認を得て、米給食を前提とする給食センターを現在設計中である。
○ 学校給食法に基づく文部省通達では「熱量源は主として小麦粉」と しているため、事情を知った県教委では村長をはじめ教育長らを県に招きパン給食にするよう数回にわたり説得したが失敗。それではとセンター建設、栄養上の補助金打ち切り、一人当たり一食10円の補助金削減の強い態度を打ち出したが、同村は「それでも米」と一歩も譲らず、ついに物別れ。
○ 一方県教委は、学校給食法がパンの完全給食実施に努めるようう たっているだけで義務づけていないことと、文部省の保健体育審議会が、新しい学校給食のあり方として、米給食を含む答申を6月ごろ出す予定なので、この答申を待って再検討すると、静観に切りかえた。しかし、県教委は、北川辺町の3校が前例となって、県内の完全給食を実施していない小学校62校、中学校 135校に波及することを最も恐れている。
〔県教委保健課の話〕
 米給食は望ましい姿ではない。もともとパン食は、日本人の米偏食による食生活を合理化し児童生徒の栄養バランスをとろうとして採用したものだ。それを再び米給食、三食とも米では学校給食の理想から大きく離脱したといわざるをえない。だが、今回のように強く米給食を実施しようとすれば、指導の範囲をもはや越えてしまう。幸いまだ給食センターは着工していないので、しばらく着工だけは待ってほしいといってあるのだが・・・。
〔鳥海北川辺村長の話〕
 北川辺は米増産のため3千万から4千万円出資、米作育成をはかっている。この米を食べないで輸入の小麦を食べるのは、村民感情からも納得できない。まして、最近は、古米が問題となり米が冷遇されている。無論、児童生徒には栄養価の高いものを食べさせたいし、米作地の実情にも合わせたい。この双方を満足させるために、給食を米にし、副食で栄養価の高いものを盛り込み問題解決をしようとした。PTAや関係者も賛成しているので、4月から給食の方針でセンター建設を進めている。補助金は、ないよりもらった方がいいが、パンでなければ出ない以上、あきらめた。

昭和44年3月12日 朝日新聞(要旨)
      県内にも普及  北川辺村がトップ
            町村議長会「選択は地教委に」

 「米どころの学校給食は米で」と北川辺村が、県内トップを切って「給食米飯給食化」をはじめることにした。このほど開かれた県町村議長会でも「学校給食法を改正し、主食を米や麦にするか、パンにするかは各地教委にまかせるべきだ」という提案が満場一致で採択され、3月下旬には同会が県や文部省にその旨、陳情することにしており、従来のパン給食から「米給食」に切り替えよういう動きが活発になっている。
○ 北川辺では、同村立東中学校に建てる給食センターの設計図もできており、6月はじめには、県内初の“米飯完全給食”がスタートする。
○ 給食費は小学校1000円、中学校1200円と 350円も上がるので、保護者や学校側からは 「もう少し村の補助金を増やしてくれ」という声が 強いほか「パンより栄養価が落ちない ように」などの要望がある。
○ 『米飯化』の動きは北埼玉郡を中心におきており、加須市ではこのほど市内の全中学校にアンケートをとったところ、約七割が米飯給食を希望しているという結果がでており、加須市では、45年度に建設予定の給食センターが『米飯用』になる可能性もあるという。 
○ 町村議長会の提案の趣旨説明では「農村地帯の子どもはパンが嫌いでよく残す。栄養的にパン食が米食にまさるというのは一方的である。自分の父母たちが作り上げた米を食べることは教育的にもよい要素が多い」といっている。



 米飯給食開始10年後の昭和54年7月、食糧庁長官は自ら当町を訪れて、給食開始当時の省の態度を陳謝するとともに、あわせて米の消費拡大の功労者として北川辺町の学校給食センターを表彰したと云う。
直線上に配置