2017年1月

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1月29日  すだれ織り

交流センターに立ち寄ると、伝統的な手法ですだれ織りの実演(?)が行われていた。
花瓶敷きほどの大きさだ。
今織り上がろうとしているものの材は、伝統工芸の世界ではゴギョウと呼ばれているヒメヨモギの茎。
左上のハサミの下の作品の材はハギ。メドハギの茎。

新潟の職人に材を提供するのは「遊水地の達人」!
半夏生の頃が刈り時だと云う。

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1月28日  北の銀嶺

今日も北の山々が美しい姿を現した。

日光三山とは、男体山、女峰山、太郎山を指すと云うようだが、
この方向からは、男体山に隠れて太郎山は見えない。
この方向からの日光三山は、散歩人の極めて私的には、男体、真名子、女峰を三山としてよかろうと思っている。
女峰山に対して男体山で・・・、男体山に対して女峰山であり、その間に真名子山がある。
真名子とは愛子のことなのだ。

真名子山は男体山と女峰山という親を持つ「愛子」だと云う。
「国土地理院地図閲覧サービス」によれば大真名子山は2375.6m。子真名子山は2323.1m。

女峰山は2,483m。帝釈山は2465mの成層火山。
美しい山だ!

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1月27日  マガン

谷中湖北ブロック。
マガモの群の真ん中にごちゃごちゃとマガン。

粗末な仕掛けだがPCで補正すると20数羽が確認できた。
和名は真雁。カモ科カモ属の冬鳥。
宮城県の伊豆沼が有数の越冬地で宮城県の県鳥に指定されている。
環境省指定:準絶滅危惧種(NT)

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1月24日  マガモ

野鳥観察台の窓から覗くと岸辺にマガモがびっしり。
冷たい風を避けて日向ぼっこだろうか。
柳の枝に布切れのようなものが見えるが・・・?

カワセミ

目視でははっきりしなかったが、撮って確かめるとカワセミだ。
谷中湖の周辺には一年中いるのだろうが、湖水が引いているこの季節に見ることが多い。
獲物が狙いやすいからだろうと散歩人は推測している。

残念ながら動きがない。

カワセミは飛ぶ宝石と言われる。
和名は、
川蝉翡翠魚狗水狗魚虎魚師、etc.
ブッポウソウ目カワセミ科カワセミ属の留鳥。

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1月18日  北の銀嶺

強力な寒気で雪雲に覆われていることの多かった北の銀嶺が姿を現した。
「国土地理院地図閲覧サービス」による標高は次の通り。

袈裟丸山・・・1,878m
皇海山・・・2,143.6m (渡良瀬川源流)
庚申山・・・1,892m
岳・・・2,249.1m
岳・・・2,388.2m
日光白根山・・・2,578m


赤城山

赤城山は上州三山の一つ。
「国土地理院地図閲覧サービス」による標高は次の通り。

鍋割山・・・1,332.3m
荒山・・・1,572m
地蔵岳・・・1,674m
駒ヶ岳・・・1,685m
黒桧山・・・1,827.7m


普段は右側の裾野しか確認できないのだが、
今日は左側(西)、荒山の美しい稜線がくっきりと浮かび上がった。
上州かるたでは「裾野は長し赤城山」と詠まれている。

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1月14日  北の鉱山

(雪雲に煙って日光の山は見えない。左手前は三毳山)
昨日からの強力な寒気によって、関東平野を取り巻く山々は雪雲に覆われてる。
午後。日が差して鉱山が浮かび上がった。

佐野市旧葛生町の鉱山と思われる。

佐野市のHPには次のようにある。

 日本一の生産量を誇るドロマイト

佐野市北部の葛生地区から田沼地区にかけて、古生代ペルム紀中期(約2億6千万年前)のサンゴ礁の周辺で堆積した石灰岩地帯が広がっています。本格的な石灰石工業が始まったのは、慶長年間(1596~1615)。その豊富な埋蔵資源を生かし「ツボ窯」「たち窯」と呼ばれる石灰窯で「石ばい」が製造されていました。
寛永年間(1624~1644)の江戸城の総曲輪造営、日光東照宮の造営等を契機にその製造は増大していきました。大正時代になるとドロマイトの大鉱床も発見され、「鉱都葛生」として発展を遂げます。現在でも、石灰の埋蔵量は推定15億トンといわれ、セメントをはじめとする工業原料や、建設資材として採掘されています。当時の採石場と加工場跡にある嘉多山公園には、石灰岩を焼成した窯跡等が保存されています。

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1月12日  ツボミオオバコ

アスファルト舗装の上に吹き溜まった土に小さなロゼットがびっしり。
葉には白い毛がまばらに生えている。ツボミオオバコだ。
史跡ゾーンのヨシ原の道に(砂利道)には、4~5年前から目だって多くなったように思うが、
生息範囲をさらに広げているようだ。

ツボミオオバコは北アメリカ原産の帰化植物。葉は根生葉だけ。
和名は
蕾大葉子。オオバコ科オオバコ属の1~2年草。

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1月10日  秩父の山々

昨日未明からの降雪で秩父の山々が美しい姿を見せた。
遊水地から見られる高い山の多くが火山であるが、秩父山塊はかつての海底の造山運動によって押し上げられた山塊だと云う。
最高峰は北奥千丈岳で標高は2,601mだが遊水地からは見えない。



中央やや左に武甲山。普段は見えにくいのだが雪が山の形を浮き上がらせた。


武甲山

サンゴによってできた石灰岩が隆起し、浸食されできた山。
遊水地からは直線距離で約60km。
名前は、日本武尊が甲を岩室に奉納したという伝説が由来と云われている。

日本屈指の良質な石灰が産出される。
武甲山の石灰は、古くは漆喰の材料として採掘されたが明治以後セメントの原料として大規模に採掘されてきた。
明治には標高1,336mであったが、山頂も削られて現在では1,304mだと云う。

山は削られてしまったが、秩父神社のHPには「武甲山は秩父神社の神体山」とある。
毎年12月3日に行われる秩父夜祭は秩父神社の例祭であり、
国の重要有形民俗文化財および重要無形民俗文化財にも指定され、昨年にはユネスコ無形文化遺産に登録された。

秩父神社のHPには次のようにある。
 現行十二月三日の夜祭をめぐっては、今でも地元に語り伝えられる微笑ましい神話がある。それが語るには、神社にまつる妙見菩薩は女神さま、武甲山に棲む神は男神さまで、互いに相思相愛の仲である。ところが残念なことに、実は武甲山さまの正妻が近くの町内に鎮まるお諏訪さまなので、お二方も毎晩逢瀬を重ねるわけにもゆかず、かろうじて夜祭の晩だけはお諏訪さまの許しを得て、年に一度の逢引きをされるというのである。

この地方の人々にとって武甲山は故郷を象徴する山である。

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1月9日  谷中湖減水

干し上げのため谷中湖の水位が下がって、満水時の水位の跡がくっきりと残っている。
今日、満水時の水位からはざっと2mほど下がっているように見える。

谷中湖は他のダムに同様に、渡良瀬川・利根川にを下って東京の水道水として利用される。
その水のカビ臭の発生を抑制するために湖底を太陽にさらすのだ。
実施期間は1月上旬から5月上旬ごろまで。

湖水は谷中湖南ブロック南端にある水門から排出される。

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1月5日  チフチャフ

毎日新聞の朝刊に「チフチャフ」の記事。散歩人と同じ大みそかに撮ったようだ。

蕨市の小川さんが渡良瀬遊水地で撮った写真が掲載され次のようにあった。

・・・。夏に欧州・中央アジア・ロシアで繁殖し、冬になるとアフリカ北部やインドなどで越冬する。国内では静岡県、東京都で観察された記録がある。


撮り鳥

今日もチフチャフを撮ろうと大勢のカメラマンがいた。「見る鳥」ではなく「撮り鳥」の集団だ。
帰ろうとしていたカメラマンに訊ねると、
「いたけれど・・・、どっかに行っちまった」そうだ。
東谷中橋袂の細長い駐車場スペースには、今日も横浜・川崎・品川・袖ヶ浦等のナンバープレートもあった。

「生きているうちに二度と出会うことがないだろう!」と野鳥の先生は言う。

ちっちゃい鳥だが世界を股にかけたスナフキン!

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1月3日  巡視車

年末年始も休みなく動いている巡視車。
谷中湖の周回路や史跡ゾーンのヨシ原の道を巡視する・・・、小さな車だが、
史跡ゾーンのヨシ原の道を散歩することの多い散歩人にとっては最も頼りがいがある。

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1月1日  初日の出

(道の駅北川辺の土手から 6時54分)
谷中湖の水面を染めて太陽が顔を現した。
土手の上からも谷中湖の周回路からもたくさんの人たちが初日を迎えた。
穏やかだ!

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